今回インタビューしたのは、山田麻未さん。ソフトボールのクラブチームでエースとしてチームを牽引した山田さんは、2017年、日本女子ソフトボール2部リーグ優勝、チーム悲願の1部リーグ昇格を果たします。同年、日本女子ソフトボールリーグ機構のSEASON AWARDS(2部リーグ部門)において、優秀選手賞を受賞したのち、シーズン内での引退を表明。
現在は地元福岡で働く山田さんですが、今年、日本ソフトボール協会の要請でフランスのナショナルチームにコーチ派遣されました。突然のコーチ要請、その時会社の反応は…?
山田さんの、これまでとこれから。そして現在についてお話を伺いました。
(本記事はrolesに取材いただきました)

山田麻未

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1987年うまれ
神戸親和女子大学発達教育学部児童教育学科を卒業後、
ソフトボール実業団のデンソー女子ソフトボール部を経てソフトボールクラブチームの大垣ミナモへ移籍。日本女子ソフトボール2部リーグ優勝、チーム悲願の1部リーグ昇格を果たしたのち突然の引退。
現在は地元福岡で働く一方で、フランスナショナルチームに派遣されるなど、プレイヤーを引退した現在でもソフトボールに貢献している。

1部リーグ昇格を決めながら、引退を決めた

現役時代の山田麻未さん

今國(以下 今):山田さんがソフトボールを始めたのはいつですか。

山田(以下 山):本格的に始めたのは中学生の頃です。もともと野球が好きで始めました。

今:社会人になってからもソフトボールをやろうって思ったのはどうしてでしょうか。

山:とにかくソフトボールが好きだったんです。なので、社会人になったら辞めるということが私の中で考えられなかったし、続けようとしたら実業団しかなかったというのもあります。辞めたいと思ったことはありますけど、やりたい気持ちが勝る。結局好きなんですよね。

今:所属されていたソフトボールチームは、どんなチームだったんですか。

山:大垣ミナモソフトボールクラブといって、その名の通りクラブチーム(スポーツチームにおける運営形態の一種であり、 スポーツ分野において企業ではなく、地域や出身校を背景とした有志により運営される同好会組織を指す。)です。

2013年、女子ソフトボールリーグに加盟したのですが、私自身はその年にチームに入りました。2部リーグからのスタートで、1年目(の成績)はダメでしたが、2年目から4年目までは「あと1勝したら1部に上がれる」という年が続いたんです。悔しい思いを3度経験しました。5年目にクラブチームとしては初の1部昇格をして、引退しました。地元に帰りたいという話をしたところココネットを紹介いただき異動させてもらって、今ここにいます。

「私がやりたい」から「みんなで喜び合いたい」へと変わった気持ち

今:翌シーズンは1部リーグでのプレイ経験が待っていた中、どうして引退されたのでしょうか。

山:大垣ミナモの前はデンソーで3年間プレイしていました。出場機会が少なかったこともあり大垣ミナモに移籍させてもらって、もう一度1部の舞台に立ちたいという気持ちでプレイしてきました。大垣ミナモは、一言で言うと「地域のチーム」。(所属していた)西濃運輸のほか、地域の企業10社くらいが集まって、できているチームです。地域に愛される、地域からすごく期待されるチームだったんです。

移籍した直後は「自分がやりたい」「私が1部で投げたい」という気持ちが強かったのですが、途中から「みんなでチームを1部に上げたい。そして一緒に1部昇格を喜び合いたい」という気持ちに変わりました。会社の期待と地域の期待に応えたいという気持ちでやってきました。だから、それを成し遂げるまでは私はやめられない。そういう思いで一年一年やってきました。それを果たしたことで、私はここで一歩引こうと思えました。精一杯やった。もうやりきったと思いました。

振り返ると、“みんなで”本当に喜び合えたというのが、印象に残っています。あとは若い子に託します。という気持ちでした。

今:「いやいや翌年も投げてよ」という話にはなりましたか。

山:はい。なりました(笑)。そこは先ほどお話ししたように「ここで一線引きたい」という話をしました。

今:年齢や体力的にはどうだったのでしょうか。

山:私は今31歳なのですが、目標にしていたのが10年表彰(高校卒業後10年間ソフトボールをプレイした選手が表彰されるというもの)でした。そこまではやりたかった。私はそこからさらに2年続けたので、自分の中では既にオーバーしていたんです(笑)。

今:そうだったんですね(笑)。ソフトボールの場合、選手生命は平均どれくらいなのでしょうか。

山:30歳まで行くと大ベテランですね。私は30歳までプレーしていましたが、大体は、20代後半でやめていきますね。

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ソフトボールを辞めたら地元に戻り親孝行がしたいと思っていた

今:地元に戻りたかったこともあり、所属会社のグループ会社に出向されたとお聞きしましたが、地元に戻りたいという思いは前々からお持ちだったのですか。

山:はい。ソフトボールを辞めたら、地元の福岡に戻りたいという気持ちがありました。

今:地元に戻ってやりたいことかがあったのでしょうか。

山:仕事として何かやりたいことがあったというよりは、戻って親孝行がしたいと思っていました。大学から県外に出ていましたし、これまでずっと自分の好きなことばかりやってきていたので、近くに居て安心させたいなあ。と。

今:グループ会社を打診された時は、どんな印象を受けましたか。

山:すごく良いお話をいただいたなというのが、最初の気持ちです。ココネットが西濃運輸のグループということは知っていましたが、正直詳しいことは知らなかったんです。ただ、西濃運輸の配達とはちょっと違うな。というイメージを持っていました。それは、「地域に密着している会社」という印象があったからだと思います。お客さんとの距離も近い。それって、今まで自分が居たクラブチームと似ているんじゃないかな?とも思いました。地域に密着して、コミュニケーションを取っていく。まさしく同じじゃないかと。

今:それまでいらっしゃったクラブチームのイメージと重なったのですね。ココネットではどういったお仕事を担当されてるのでしょうか。

山:主には管理業務に従事しています。例えば、面接や、各店舗さんとのやりとりや、車両管理、ハーティストさん(※ココネットにおいて配送を担当しているスタッフこと)の声を聞いたりなど、多岐に渡ります。最初は…難しかったですね。

今:どんなところが難しかったのでしょうか。

山:ココネットには、「自分で考えて仕事をする」という文化があります。過程は自分で考えて行動して、結果が出せていればそれでいいという感じなので、自分のペース、自分のタイミングでやれる。一週間のスケジュールも自分で決めることができたり、全てを任せられる感じなんです。なので、入ったばっかりで右も左も分からない私からしてみたら、どうしていいのかわからない状態でした(笑)。

今:それまでいた環境に比べて、会社の文化自体が相当違ったのでしょうか。そして、お伺いしていると、今の環境は、ある意味で自由度がとても高いように伺えます。

山:はい。違いましたね。そして、仰るように自由がある、だけどその分責任がめちゃくちゃある。そう思います。

〈次回に続きます!〉
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